モーツアルト ピアノソナタK.545
モーツァルトはノンペダルで
最初にこの曲をもらった時(小2or3頃)は、嬉しくて嬉しくて
分厚い教則本を何冊も抱えてピアノ教室に行くのが楽しくて楽しくて
一週間に1回のレッスンに満足せず、週に2回行ったり、日曜日の朝も先生のピアノを弾かせてもらったり
今年、数十年ぶりに先生とお話しする機会があり、当時相当図々しかったことを謝りました
すると、先生は、「習いたい、弾きたいっていう子、帰せないでしょ」と相変わらずの明るい声で
キラキラした想い出のいっぱい詰まった曲 今でもウォーミングアップで弾くことがある
異端児な私のピアノ教師への道のり
子育てほぼ終了してからのピアノの再挑戦は、ただただ好きだという気持ちだけで猪突猛進
10年掛かってようやく辿り着いたこの音、かつて届かなかった高貴なあの音
50年前に教えてくれた先生は褒めてくれるだろうか、この音を
絶対褒めてくれるはず!
(ーっと、一気に書いたものの、10年だの50年だの長すぎてイメージ湧かないかもしれませんね、ゴメンナサイ)
ピアノ演奏はコンクールの順位ではなく、発表会でドレスを着て披露するものでもない※
※実力が伴えば、ドレスも必要だが入会直後から技術の伴わない演奏ときらびやかなドレスは私は不要だという意見
※視覚障害が無い限り楽譜が読めるレッスンをしています(演奏時には楽譜だけをみて手元を見ない)
ピアノは 何を弾くか、ではなく、どう弾くか
共感するかしないか 心地良いか否か 何より演奏者が納得しているか ということを極めていくものだと思う
人にどう見られるか、ではなく、演奏する自分自身の問題 ということ。(教室運営の基本方針)
自信を胸に、私の元へ訪れる生徒には私の知りうるピアノを伝えよう、先生に習って
ー 私は子供たちに将来の夢を聞く
ー その夢を掴むにはどうしたらいいのか、と尋ねる
ー 間違いも正解も無い、年齢に応じた考えでいい
ー「これならできそう」は夢じゃないからね!
今年の年末も来年の手帳の扉に目標を掲げて新年を迎えることにしよう
書く=目にする ことで鼓舞!
できそうにないことでも、どーにかなるしドウニカスル!
最終回の大河ドラマの紫式部のセリフに『米や水のように書物も人に無くてはならないものですわ。』というくだりがあった。
正しくその通り、書物=芸術 と私は拡大解釈した。
人の心の 余白 の部分。これが無くてはならないものだ ということ。(私の口癖)
余裕=余白
例えば、机の引き出しに隙間なくモノが詰め込まれていたら、欲しいものを取り出そうとしても、なかなか取れなかったり、ましてや見つけられなかったり。
余白があると、スムーズに取り出せる。
パソコンも容量がいっぱいになると動きが鈍くなる、似たようなことは日常茶飯事。
目に見えない、その部分は、必要なもののために必要な空洞。
休むこと、余裕を持つこと、そこに、ある一定の人々は趣味を持つ。
そして、その趣味は、食べる、寝る と同じように人々の生活の中に溶け込み活力を与えてくれる。
その趣味がピアノだったらー私でよければ喜んでお手伝いいたします。
▼末尾に
発達障害児(に限らず、年配の方、フツウの方も!)のレッスン、喜んで引き受けております
私の経験(2歳より重度難聴および10歳より高次脳機能障害の子の母としての経験)が少しでもお役に立てるのなら、どうぞ私を利用してください
私も未だに勉強中です、共に知恵を出し合いましょう
※今回のブログは詰め込み過ぎて長文になり、読み辛い点があるかもしれません、どうぞご寛大にご容赦ください。
来年もよろしくお願いいたします、最後のご挨拶は肉筆で✒
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